ASEAN諸国・地域から精鋭集結(自分で言うか、しかもASEANじゃない)
マレーシアの首都クアラルンプール郊外の小都市カジャン市を舞台に繰り広げられた、キッツい仕事の忘備録その2。

我々日本組は、小学校高学年から中学くらいの生意気盛りとパレード用の「ビッグパペット作り」を担当。ワークショップは大学隣接の小学校グラウンド(コンクリ)で
華僑系の私立大「新紀元大学学院〜New Era University College〜」の黄博士に召集された各国のワークショップ講師陣は、現地マレーシアのダンサーと陶芸家?インドネシアのグラフィック・アーティスト?台湾のパーカッショニストに加えて日本の人形劇団の役者&特殊造形美術家の俺という、実にアヤシしげな布陣。
それぞれが世代分けされた地域のガキどもと地元の学校・幼稚園でワークショップを行ない、町おこし祭「Kajang Community Art Carnival〜加影社区艺术嘉年华〜」のメインイベントでパレード&ページェント(野外劇)『Revive our cultural Town 〜又见文化城〜」という演目を披露するという大まかな流れ。
「アートとかそんなん仕事なのかよ、しかも中華系主催かよ」などと、反射的に不愉快になる勤め人諸兄は目くじらを立てずに面白い他記事でも読んで寝てください。
各々言語いい加減で会議は混沌

ワークショップのスタートは「アイス・ブレイキング」ということで平和なマスゲームから(罰ゲームあり)。この頃はホントに多国籍感あったが…
北京語⇄日本語の通訳として、確か台湾出身の王(ワン)おばさん、インドネシア(≒マレー語)⇄日本語通訳のTOMO(流山児★事務所・在インドネシア)が来てくれるまでの数日間は、中国・台湾人や華僑系マレー人らと英語でコミュニケーションという、偏差値貧乏のロートル美術家には過酷な環境。全体の3週間弱の流れを説明されても半分理解できていたかどうか。
帯同した(てか、年次的に俺が帯同したカッコか)人形劇団のおばさまは俺より英語を喋らないので物凄いストレスでおられたろう。
呼んでくれた黄博士は日芸に留学しておられた才女で、彼女は日本語・英語・マレー語・中国語ペラペラ。それでかなり救われたと思う。
人生観を変えたホームステイ
この業務で面白かったのは、アート(基本貧乏人)だけに3週間に及ぶ宿泊が当然完全「ホームステイ」だったこと。
俺なんかは大概どの国行っても基本ヘラついて汚い所でも飲みに行ったりしちゃうお花畑野郎なので、ごちゃごちゃガイジンと混ぜられて生活するのもさしたるハードルではないが、コミュニケーション苦手でホームステイ嫌いな人はこの時点で脱落の可能性も。
ステイ先は近所で舞台装置などを作っている木工細工師のロイくんの家。
「ホントにあった!」

ホームステイ先のロイくんち。現在は開発で取り壊されたそうなので、中身公開。本当に本当に快適。この食卓で毎夜ホントに語った(筆談とブロークン英語で)。アレやりながら
いやこれがマジホントに貴重体験で。
この時の経験から今の東京の家に妻のガイジン友達などが泊まりに来た時もホントに無駄におもてなすからね、ウチは。その子も一生忘れない可能性があるから。初ホストファミリーを。
あとモラトリアムの渦中にある自分の息子娘が進路に迷って右往左往しているなら(大抵の家庭はそうでしょ)、どうせ実社会でなんの役にも立たない親ぶったアドバイスなんかしていないで「留学(ホームステイ)」にドンと背中を押してあげてください。それだけで親なんかよりはるかに豊かな人生を歩めること請け合い(無責任)。
嗚呼、あの素晴らしい日々よ
帰れるものなら今日あそこへ帰りたい(彼だってとっくに引っ越してんだろ当然)。

ステイ先の外観はこんな感じ(ASEANお馴染み)。大通り沿いは側道が駐車場みたいになってるスタイル(上手く言えない)
マレーシアの建物で特徴的なのはコロニアル式の(どこの?ダッチ?ブリティッシュ?)、下がアーケードの商店で2階が住居というスタイル。
勿論郊外だし巨大な一軒家もあったんだけど、俺がステイしたのはソレ式の住居。だのにもう、羨ましいくらい広くて風通しも良くて。
不味いビールやつまみを広げて、タバコじゃない何かをプカプカ燻らせつつ、カタコト英語で国際情勢(嘘つけ)や日中印について浅いコト喋ったり、当時ASEAN諸国を席巻していた日本文化(もっぱら邦画)のことを語ったり…
「ホントにあった!」
いつ果てるとも知れない、炎天下のガキ共相手の過酷仕事で疲弊しそうな体や心を本当に芯から癒してもらった。毎夜毎夜ナイト。
まだ彼氏には元気で生きていて欲しいが、日本人じゃないのでやたら老いて、勝手に達観していそうで怖いな…

韓流に駆逐される前夜、2000年代は日本コンテンツブーム。ロイくんちのコレクション。ほぼブートレグ(笑)。まず最初に出た固有名詞は「クロサワ」じゃなく「キタノ・ミヤザキ」だった
いや全く始まらないよね、仕事らしい仕事の話が。
◉野磁馬



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