♪人は誰でもまつりの終わりを知る まつりばやしに入れなくなる時を知る〜♪
気になったことがあっても年寄りってのはアッ!という間に忘れていくのでチビチビ記しておく。
みなさん御存知『まつりばやし』の事。
1977年発売、中島みゆきの傑作アルバム「あ・り・が・と・う(このケッタイな中黒がもう70年代ネ)」収録の佳作。
最近知ったんだけどこの曲の歌詞って今、「亡き父のことを歌った歌」一択って事になってるのね(ネット界隈では)。
え?ってなって。
どうしてそんな事態になってんのかちょびっと掘ってみると(ネット界隈をね)、みゆき本人が“1978年・秋のツアー”でコレを歌った際に曲間のMCでそう語ったというのが根拠だと。
主旨は「デビュー直前に倒れて、のち亡くなった父との思い出。全国のお祭を見ると彼を思い出す」と言うような事だが……なるほど。

全ての祭りの終わりを1968〜9年に定める人がいる一方、万博あたりまでを見る人もいる。理系・文系の違いか(この適当さが団塊を逆撫でする)
ちょ待て。
別に過去の歌詞の解釈などほとんど無効なのは承知だし、多分陽水だろうがチー様だろうが桑田だろうがみゆきだろうが「リスナーそれぞれの捉え方で」とかアイツら絶対そういう事言うに決まってんだけど。
ドント・トラスト・70年代アーティスト
俺個人の解釈では(いや、どっちかっつとこの解釈がスタンダードだった時代があったハズだが…)、ごくシンプルに考えて“あの季節に間に合わなかった世代”からの全共闘へのレクイエムでしょコレ。
なんか“赤い花”に関してそんときのMCでみゆきが「北海道の地元の祭りでどの家にも飾られていた赤い花の飾りを思い出して云々」とか言っていたようだが、「あ、そうですか。はいはい」と。
バエズにディランはもとより、拓郎に岡林、なんなら多分森田童子なんかのエキスを思い切り痛飲してきたみゆきだろうに。「赤は花飾りの色です」ぅ〜?
じゃあ、通り過ぎていった「山車」までも赤いのは何でよ。
特にみゆきなんかホントのこと言ってる時の方が少ないアーティストの代表で、たまたまコンサートのMCでだけ真実を語るとかないでしょ。
「わかれうた(また平仮名ね)」の大ヒット後、70年代のケツに始まったオールナイト・ニッポン聴いてみんな椅子からブッ飛び、即座に「二重人格」のレッテル貼られたのもこの人で。
谷村だの、さだの「ナントカの一番長いナントカ」あたりから、鬱陶しい状況説明ソングがヒットを飛ばすたびに多重な解釈の幅を狭めていく状況に反発を覚えていた時代が懐かしいよね。
「一切説明すんな!」と。
しかし表現に対して一般大衆からの「説明求ム」の風潮はもはや止めようもなく、アーティスト受難の時代は「不景気」並みに現在まで長く続いているわけだけど(回復の期待もない)。
みゆきには同時期に「世情」という直截でわかりやすい楽曲もあり、あれを金八のシーズン2で採用したTBSの生野Dが語っちゃってたよね「挫折の世代のレクイエムを暴れる世代の末路に重ねた」ことに関して。
語ってなかった?
ソッコー「ダセ」と思った記憶があるんだけど。
小山内さんだっけ?
「ホントにあった!」
いずれにしろ歌詞で「謎かけ」を楽しませてしてくれるアーティストが懐かしいな…
てか、この「まつりばやし」なんてダブル・ミーニングとしても読みやすい方だろうと思うんだけど。
ウッセーか。ゴメンちゃい。
オジさんの頃にはね、アーティストが投げてきた作品の芯を、深読みしない・読みきれていない連中を心ひそかに馬鹿にする空気もあって、分かった気になってないと怖くてサ。
“友達にさえ強がって見せ”なきゃなんなくて(引用よせ)。
どう聴いてもいいんだよ!音楽なんて(ごもっとも)。
てか、この手の作業ってやっぱ野暮か…
加えてこのネタ、ちょい前の「あさま山荘事件」の時にも触れた、団塊当事者的に俺たち後発世代が語るのを禁じられている「赤い季節」に関しての話に踏み込みそうなので、この辺で。
故にやっぱり、♪眠り続けるお前よ わたしの所へは まつりばやしは 二度とは来ないような気がするよ〜♪と。
※「赤」って文字が出てきたらそう構えるのがフツー…って時代を終わらせたのはもしかして⭐︎ユカイか?説。
「そのバンド名は…」と邪推させて「全然そんなの考えてねえっス!」と言い切る事でみんな馬鹿負けして。
◉野磁馬



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