たどり着いたら「レマン湖」 〜連合赤軍あさま山荘事件 ゲンバへ〜

夏が暑すぎて「避暑地」じゃなくなった感のある軽井沢だが、冬はめちゃくちゃ寒いのは変わらず。連赤メンバー側からの視点で歴史探訪すると生死に関わると思う
1枚の写真 〜ONE SHOT〜

ほぼ全国民がテレビ中継を見た「連合赤軍あさま山荘事件(1972年2月)」

現在ではこの事件、「コレキッカケで山岳ベースでの酷い事件が露呈し、それまで支持の声もあるにはあった世間が完全に新左翼・学生運動を見放す契機になった」って感じで“総括”されているが、そうなのかホントに。
ウチの親父もヨメの親父も「コレで呆れて見放した」という大本営的昭和史編纂側に与していたが。

マスコミにももうソッチ側からコレ語っていいプロデューサーは完全にいなくなっているのだろう。視聴者のニーズも皆無で。

事件後一旦取り壊されて(てか、事件時に結構壊したし)改築されたのち中国人に買い取られ、現在は香港の団体の施設になっている浅間山荘。
その経緯がもうなんか如実に日本の現代史を体現しちゃってる気がして、より体感温度を下げてくれる。

「ホントにあった!」

変な斜面の立地はそのままだが、建物自体はだいぶ変わった浅間山荘。昭和の大事件サイトとしてはちゃんと残っている方。中国資本の方が「あるものをそのまま活用する」からだろうか

しかし50余年…

俺は高度経済成長期生まれとはいえこの頃は幼児。
犯人グループとは(幸運なことに)世代がズレており、いわゆるその後の狂騒の時代(バブル)サイドの人間として括られるSADAME。
団塊には羨望もありつつもほとんどが転向組でマトモにこの時代の話をしてくれないし、さらに俺はこの頃学生に上がった口数の多い団塊ブラザー世代を毛嫌いしているので余計に聞けない。

だいたいコレ系について俺たち下世代が語るのを異常なほど許さないでしょアイツら(ひと絡げにするな)。批判から始めるし、会話(偏見)。

で、あるからして我々にはどうせ総括する資格も無いようだから、なるだけ語らないようにしてきた素材なのだが…

ただ、「当時は米国に映画留学中で、コレをテレビで知り『何をバカなことしているんだ』と冷めた目で見ていた」とか平気で抜かす感性の原田某とかいう奴(大嫌い)が、ヌケヌケとあの佐○とか敵側の全面協力のもとオールスターで「突入せよ!」とか撮れているのに、俺の知る限りず〜っと「連赤連赤」言ってた長谷川監督は結局撮れず(まだ決めつけんな)、若松監督には全然カネが降りずにあんなのしか撮れないという現実を見てモヤるのも事実。

伴明監督が切り口を変えて立松の「光の雨」を撮ったが、ソッチ側の人はそれにも満足しなかったようで。「違う」とか言ったりして(笑)。俺アレ大好きだけどな〜。立松のウットリしてる感じが。
あと裕木奈江!
突然読者置き去りで「レッド」を描いて頭を抱えさせてくれた山本センセも少し別扱いに(っていうかもう世間が変質しすぎていて届かず。え?届いてた?)。

なんだかんだで捕まっていないヤツがいたり、「総括」も済ませずに半島で生きながらえているだけの老人集団がいたり、万博やったり、結構継続中だと思うんだけどこの辺。
現代史の中に散見される、後世のジャリは迂闊に触らないほうがいい系(例:赤報隊朝日新聞阪神支局襲撃事件とか)ってことで、黙ります。

※レイクニュータウンは勝手に入ってウロウロできないので注意。
しかし「レマン湖」だぜ?。死の雪中行軍で疲弊し切った犯人グループが迷い込んだのがよりによってココ…「レマン湖」。
その時、まさに彼らの中で何かがプツッと切れたんじゃないかとの想像はそんなに外れていない気がしちゃうんだけど…

どっかもうちょっと侘しげな別の自治体側に降りていたらどういう展開になっていただろうと、50年も経って別線を妄想するきっかけにはなった軽井沢。

今や避暑地でもなんでもないけど高原の小枝は大切に。

◉野磁馬

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